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カエサルも、ポンペイウスも、スッラも、スキピオ・アフリカヌスも凄い将軍だったと思うが、私は何気にハンニバルのファンである・・・塩野七生も言っていたが、ハンニバルは稀代の戦術家だと思う・・・第一次ポエニ戦争のカルタゴの勇将ハミルカルの長男として生れ、幼い頃から父ハミルカルに「お前の生涯の敵は、ローマだ」と言い伝えられる・・・。そして、二十九才の時に九万の軍勢を率いて、スペイン(当時のカルタゴ領)から陸路イタリアのローマを攻めに行った。道のりは、スペインから南フランスを抜けて、アルプス山脈を越えて、イタリアの背後を付くというものだった・・・。最初、現在のスペイン国境付近で、何処に行くのか不安に思った兵士四万人が離脱する・・・。続いて、ローヌ河を渡る際約一万五千人が溺死し、アルプス山越えをする時には、谷に兵士が落下したりして、約一万五千人が死んだ・・・。つまり、アルプス山越えをした時点で、九万人いた兵士は、約二万にまで激減していた・・・。アルプスの最後の峠で、イタリア半島を見ながら、ハンニバルは兵士達にこう演説した。「イタリア半島に降り立ち、ローマとの二、三回の戦闘に勝利すれば、あのイタリア半島は我々のものだ!」あのナポレオンも、アルプス山越えをして、オーストリア軍?の背後を付く時に、これと全く同じ演説をしたらしい・・・。アルプス山越えと言い、この演説と言い、ナポレオンはハンニバルを手本にしていた・・・?そして、反ローマ的なガリア兵一万五千がハンニバルに付き、三万五千の軍勢で当時七十万とも言われたローマ連合に殴り込みをかけ、勝っていった・・・。トラジメーノの会戦では、部隊を二手に分けて一隊を湖のほとりに配置し、湖にいると見せかけローマ軍をおびき寄せて、もう一隊の部隊が背後を付いた・・・。不意の奇襲にローマ軍は、取り乱し敗走した。このトラジメーノの会戦は、戦いでは無くてカルタゴ側の一方的な殺戮だったという歴史家もいるくらいだった・・・。そして、カンネの会戦では、今まで一番強い部隊を中央に配置し、弱い部隊を左右に配置し戦うのが常識とされていたが、ハンニバルは逆に弱い部隊を中央に配置し、強い部隊を左右に配置した・・・。そして、左右に配置した強い部隊でローマ軍を取り囲み、ローマ軍を殲滅させた・・・。ローマ側の戦死者は、九万人にも及び、ローマは一時窮地に立たされた・・・。だけど、ここで一番の謎が、ここで一気に首都ローマを攻略すればよいものを、この稀代の戦術家(ハンニバル)は謎か南進する・・・。そして、やがてローマに体勢を立て直され、ハンニバルはザマの会戦でスキピオ・アフリカヌスに破れ、地中海の覇権をローマに握られてしまう・・・。ハンニバルは謎あの時(カンネの会戦の後)、一気に首都ローマを攻略しなかったのだろう?謎である・・・
先程お幸が帰宅。大荒れです理由は主人の転勤が東京に決まり、大阪への引っ越しの夢がはかなくも消えてしまった為(^_^;)あと3年、長くて5年は異動ないかな…引っ越しのない転勤族なんてこの3連休で気持ちを切り替えましょ